今回は、クイーンズ区南西部にあるピアノで有名なスタインウェイ関連の場所をまとめてみました。
1.ウィリアム・スタインウェイ(William Steinway)

ウィリアム・スタインウェイは、1835年にドイツで生まれ、15歳の時家族兄弟と共に米国に移住。 1853年、父ハインリッヒ・スタインウェイ(Heinrich Steinweg)が創業したピアノ製造会社 Steinway & Sonsに入ります。その後、1876年に事業運営担当の経営者となり、ピアノの品質・音響・構造に関して多くの技術革新や150以上の特許を取得し、世界的な高級ピアノブランドに成長させました。会社運営のみならず、地域リーダーでありクイーンズ区アストリアの発展に影響を与えた人。1896年に61歳で亡くなります。以下、スタインウェイとの記載はこの人の事です。
ピアノ会社は、1972年に創業家による経営は終息し、米国テレビ局CBSに売却され、2013年プライベートエクイティの Paulson & Co. が買収しています。
2.スタインウェイ・マンション(Steinway Mansion)

スタインウェイ家は、小高い場所に建つ邸宅を1870年に購入し、1920年代まで一家の住まいとします。どちらかと言うとこじんまりした建物は様々な所有者の手を経て、現在は私有地であり非公開。かつては広大な敷地にあったであろうこの邸宅は、今は自動車修理工場や倉庫に囲まれ、建物だけがぽつんと残っています。街外れにあり、この場所を知らなければ気づかない程残念な感じでした。米国国家歴史登録財でNY市ランドマーク。


3.スタインウェイ・ビレッジ(Steinway Village)

スタインウェイは、マンションの近隣約400エーカー (1エーカー=約1サッカー場)以上の土地を購入し、スタインウェイ・ビレッジを作っていきます。
そこには、ピアノ工場だけでなく労働者向けの住宅、教会、図書館、学校(キンダー)、公園などインフラを整備し、理想的な労働環境を目指した産業コミュニティを築きました。
ピアノ工場は、以前は見学出来たそうですが、今はオンライン・ツアーのみのようです。Steinway Exclusive Access: Virtual Factory Tour から申し込めるようです。


PHoto : www.americanhistory.si.edu/steinwaydiary/gallery
4.ノース・ビーチ遊園地(North Beach Amusement Park)

ノース・ビーチ遊園地はスタインウェイは開発を主導し、フェリーでマンハッタンから来られる海辺の家族向けリゾート地として誕生。1895年頃から1920年代後半まで 都市労働者が週末や休日に訪れる健康的な娯楽空間でした。
ローラーコースター、ダンスホール、 ビアガーデンやレストラン、プールやビーチ、夜は花火が上がったそうで、クイーンズのコニーアイランドと言われていたとの事。
しかし、禁酒法によってビアガーデンが閉鎖、水質の汚染などで次第に衰退します。
跡地は、ラガーディア空港のターミナルA(Marine Air Terminal)周辺です。
5.スタインウェイ・トンネル(Steinway Tunnel)

スタインウェイ・トンネルは、NY市マンハッタン区とクイーンズ区とを結ぶイースト川の下にある約2.1 kmのトンネル。ピアノ工場があるクィーンズ区とマンハッタン区を結ぶ交通手段の必要性を感じたスタインウェイは自身が出資し、1885年にトンネル計画が始まります。しかし、建設開始は7年後の1892年、完成は1907年。残念ながら、本人はトンネルの完成を見ず、他界。1915年に地下鉄として開業し、現在のNY市地下鉄7号線のグランド・セントラル駅からハンター・ポイント・アベニュー駅間として使用されています。スタインウェイはNY地下鉄委員会の委員長も務めたそうです。

トンネル建設時に出た土が小さな人口島(60×30メートル)となり、国連本部傍のイースト川にあります。ユー・タント島(U Thant Island)島ともベルモント島 ( Belmont Island) と呼ばれて、渡り鳥の保護区です。
6.スタインウェイ・ホール(Steinway Hall)

フレームのような壁は水色に見えますが普通の白です
かつてスタインウェイ・ホールはコンサートが催せ、ピアノのショールームと販売部門もある場所だったようです。最初のホールは1864年に14丁目に建設され、1925年に57丁目に移転。この57丁目にあったホールはカーネギー・ホールに近く、2014年まで利用。2016年からは現在地6番街と43丁目の角にショールームがあります。
7.スタインウェイ通り(Steinway Street)

スタインウェイ通り名は、スタインウェイ由来。少し長い通りですが、アストリア・ブルーバードと28丁目までの区間は、「リトル・エジプト」と呼ばれ、中東・北アフリカ系のコミュニティーです。エジプトに加えてイエメン、モロッコ、チュニジア、アルジェリアからの移住者も多く、多様な文化や料理が楽しめる地域。 まず、ここで目を引くのは、アストリア・ブルーバードのほど近くにある落ち着いたピンク色のマスジッド・ アルイマン(Masjid Al‑Iman)。マスジッドはモスクの意味で、アルイマン・モスク(Al-Iman Mosque)とも記載されています。街並みに沿うような建物ですが、一番上には三日月があります。

また、通りにそってシーフード、エジプト、モロッコ等数々のレストランや水タバコが吸えるラウンジが並びます。



他店も同様かと思いますが、訪れたシーフード・レストランでは、好みの魚を好きな方法で料理してくれました。明石出身ゆえタコは外せず。焼いたタコは美味でした。ただ、アルコールの提供はなく、アルコール擬きのノンアルコール・ビールのみ。アルコールに関し、他店ではどうか関心はあります。料理は比較的お手頃な値段でした。



また、通りやバーかラウンジと呼ばれる場所で、水タバコ(ホ―カ:Hookahまたはシーシャ(Shisha)をぷかぷか吸っている人達を見かけました。涼んでいるのか、通りに椅子を出してお茶を飲んだり水タバコを吸っている人も多いのですが、ほとんどは男性でした。





スイーツは、最近人気のドバイチョコレートやスパイス紅茶シャイ・アデニ(Shai Adeni)など提供するカフェなどがあり楽しめます。
通りには、肉を焼いているフート・トラックからの煙と水たばこからの煙がそこここに。夜の帳が下りるともっと煙が立ちあがり、もっと人が出てきて賑わう印象でした。






8.あとがき

厳密に分けると「リトル・エジプト」はアストリア地区ですが、今回はなんでもかんでもスタインウェイ!!!! としたかったので、加えました。
ピアノ産業は、スタインウェイ家の縄張りからイースト川対岸にある南ブロンクスのモット・ヘイブンにも他社ピアノ工場はあったそうです。が、そちらは残念ながら衰退していったとの事。
リトル・エジプトは、他国でアラブ街近くに住んでいた友人によると少し物足りない感はあるそうです。それでも、マンハッタンから近い場所で、料理や人々の装いから異国情緒を味わえるので楽しいかと思います。機会があれば是非。


行き方
リトル・エジプトへはNY市地下鉄MかR線Steinway St.駅かWかN線Astoria Blvd駅が便利。
スタインウェイ・マンションにはWかN線Astoria Blvd駅が便利ですが、残念ながら徒歩20~25分程かかります。

Acknowledgement
・I’m so grateful to James U. for sharing his knowledge and valuable information, and to Sigrid for showing me around the neighborhood.

参 照
・William Steinway – Wikipedia
・Steinway Hall – Wikipedia
・www.americanhistory.si.edu/steinwaydiary/gallery
・Queens: North Beach – [A resort for the city’s amusement seekers in 1892.] – NYPL Digital Collections・
