今回は、セントラル・ハーレムの北部125~140丁目の紹介です。
ここには、ハーレムがかつて主に白人地区だった面影が残る歴史地区があります。
また、のちにNYでのアフリカ系アメリカ人コミュニティーの中心となり、様々な文化が生まれ発展していった歴史が刻まれた建物や資料が保管されている研究施設もあります。今回は若干固い内容かもしれませんが、ハーレムのさらなる一面に触れてもらえたなら嬉しいです。
1.ションバーグ黒人文化研究センター(Schomburg Center for Research in Black Culture)
ションバーグ黒人文化研究センターは、NY市公共図書館の研究図書館の一つです。アフリカ系アメリカ人、アフリカの出身国や地域から民族として離散された意味のアフリカ系ディアスポラ(African Diaspora)、そしてアフリカに関しての資料の研究、保存、展示しています。これら分野で世界をリードする文化機関です。135丁目とマルコムX通りの角にあります。
このセンターの名となっているアルトゥーロ・アルフォンソ・ションバーグ(Arturo Alfonso Schomburg)は、アフリカ系とドイツ系のプエルトリコ人の歴史家、作家そして活動家だった人。1891年に渡米し、ハーレム・ルネッサンスにおける重要な知識人だったそうです。
この建物内のロビーには、リバーズ(Rivers)と名の付けられたコスモグラム(Cosmogram)があります。コスモグラムとは、宇宙論(Cosmology)、地球や宇宙の現実または想像上の構造を平面幾何学的形で表し描写し、 多くの場合、円と四角、または円と十字が描かれたものだそうです。
このセンターのコスモグラムは、作家であり詩人のラングストン・ヒューズ(Langston Hughes)とショーンバーグへの敬意を表し作成されました。確か、世界に流れるナイル川、アマゾン川、ミシシッピ川など大きな川に加えて、両氏が生まれた場所が線で結ばれていたと記憶します。多様な文化や背景を持つ人々、過去と現在とのつながりを表現しているとも言われています。
中央には、ヒューズの代表作である詩The Negro Speaks the Riversの最後のラインが書かれ、ヒューズの遺灰が埋葬されています。
ラングストン・ヒューズは、ミズーリ―州で1901年に生まれ。詩人、社会活動家、小説家、劇作家、コラムニストであったヒューズは、多くの執筆活動を通して、アフリカ系アメリカ人、特に労働者階級の苦しみ、喜び、笑い、そして音楽などに満ちた生活を描きました。彼の作品には、アイデンティティと多様な文化に対する誇りが浸透していると言われています。
さらに、ハーレム・ルネッサンスのリーダーの一人としてよく知られ、ハーレム・ルネッサンスを語る時、必ずヒューズの名は出てきます。1967年に66歳で亡くなります。
2.ハーレムYMCA
ハーレムYMCAは、ションバーグ黒人文化研究センターのすぐ近く、135丁目のマルコムX通りとパウエル通りの間にあります。赤茶色のネオ・ジョージアン様式で、国定歴史建造物およびNY市ランドマークに登録されています。
1900年頃、53丁目に有色人種用YMCAがあったそうですが、それ以外ほとんどのYMCAは白人のみだったそうです。
やがて、主にアフリカ系アメリカ人向けとして1931-1932年にこのハーレムYMCAが建築されます。全米でも設備が最も整ったYMCAの一つで、建物の上層部は住居用となっており多くの著名人が居住していたそうです。
しかし、当時は立派な建物だったのかもしれませんが、現在は、外から見る限りで中の様子はわかりませんが、サインの一文字が無くなっているし、ただの古いビルの印象。
時が流れ、華やかさはすでに過去なのか、それとも自由に誰でもどこにでも行ける時代だから、ここでなくてもいいのかな、と思ったりしました。
3.アビシニアン ・バプテスト教会(Abyssinian Baptist Church)
アビシニアン ・バプテスト教会は1809年に作られ、パウエル通りとマルコムX通りの間の138丁目にあります。
エチオピアの旧名であるアビシニア(Abyssinia)と呼ばれ、
素晴らしい建物と目を引く真っ赤なドアが印象的です。
この教会はハーレム・ルネッサンス時代に宗教音楽の重要な場所であり、現在でもハーレムのゴスペルの伝統の中心地となっているそうです。
エチオピアレストランをそこここで見かけたので、エチオピア系の人も多いのかも知れません。
余談ですが、アビシニアンという猫の品種にがあります。
4.ストライバーズ・ロウ(Strivers’ Row)
ストライバーズ・ロウは通称で、正式にはセント・ニコラス歴史地区(St. Nicholas Historic District)と呼ばれる国立歴史地区、ニューヨーク市歴史地区でもあります。
開発当時は中流階級以上の白人のために建設され、19世紀後期の優れた都市設計と言われています。マディソン・スクエア・ガーデンやワシントン・スクエアのアーチの開発者で有名な請負業者が手掛けていたので、一流だったかと想像できます。
しかし、大恐慌や白人層がハーレムから離れ、なかなか家が売れず空き家になった時期があったとの事。それでもアフリカ系アメリカ人に販売されなかったそうです。後に購入可能になって以降は、地区に魅了されたアフリカ系コミュニティーのリーダーや上昇志向のプロフェッショナルの人達、特にハーレム・ルネッサンスの知識人や芸術家にとっての文化の中心地となり、地区はストライバーズ・ロウと呼ばれるようになりました。ストライバー(striver)とは、勤勉でより高いレベルの成功に到達するために努力している人ともあくせく働く人とも訳されています。
ここには、通りによって、また同じ通りでも南と北とで様式の違う建物が美しく並んでいます。3つの主な様式があります。
一つ目は、138丁目の南側(家番号が偶数側)とパウエル通りの一部は、ジョージアン・リバイバル様式の赤いレンガとブラウン・ストーンの建物。
二つ目は、138丁目の北側(家番号が奇数側)と139丁目の南側(家番号が偶数側)には、テラコッタで縁取りされ黄色のレンガ、白いライムストーンの建物で、コロニアル・リバイバル様式。
三つ目は、139丁目の北側(家番号が奇数側)に、濃い色のレンガ、ブラウン・ストーンとテラコッタのイタリアン・ルネッサンス・リバイバルの建物が並んでいます。
さらに、それらが背中合わせに建っているので裏庭が共有。また、家々の間に路地 (alleyways)と門があり、かつては配達物の配達のため、また馬を静かに厩舎につれて行くためだったそうです。今でも、「Walk Your Horses」と書かれた門柱があり当時を偲べます。現在は、駐車スペースやゴミ置き場として利用されているようです。あららという感じ。
この地区は、NY市の宝石とも言われています。ちょっと大げさな気もしますが、確かに建築物は見事で美しい地区です。
5.観光時の注意点
ハーレムに限らずNYCの街なか一般での観光時の留意点を、NYCを熟知し経験豊かなYさんにも伺いましたので、参考にして頂ければと思います。
・高価なブランドものや高級時計を身に着けたり、派手な目立つ格好をしないで、お金持ちに見えない格好をする
・最近タクシーの支払いはカード払いが増えましたが、現金で支払う時や露天商から物を買う時、$100札などの高額紙幣を
路上で見せず、$20札以下を財布なしやポケット等から出してさっと支払う
・変な人やちょっと危なそうな人がいたら、目を合わせず遠回りをし、路上で話しかけられても無視する
・置き引き、ひったくりに気をつける
・出来るだけ大通りを歩き、昼間でも回りを注意し、夜はウロウロしない
・地下鉄ホームは後ろから線路に突き落とされないような場所で待つ
日本からいらっしゃる方は返って不安になられるかもしれませんが、要は服装や振る舞いを目立たぬよう、周囲に気を付けて歩く、でしょうか。危ないかな、止めた方がいいかなと自分の直感は大事で信じていいと思います。
1.まとめ
私にとって、ハーレムは危険で治安が悪く行くなと聞かされた場所でした。関心はあるものの、知らない故の不安感でびくびくおどおどで腰が引け、一緒にチャレンジしよう!!とあえて友達を誘えずだったので、ウォーキング・グループと共に歩きました。二つの歴史地区もあり、他の地区と全く違うエネルギーが渦巻く地区。リーダーの案内があったからこそですが、本当に驚きと新鮮な世界でした。また優しく親切な人も多かったです。それを少しでも感じて頂ければ嬉しいです。
ただ、治安は格段に改善されたと言われますが、それでも暗く厳しい過去があり、まだ犯罪率も高い地区。ちらほら怪しく危なそうな目つきの違う人もいるので注意は必要です。
機会があれば、数人やグループまたはツアーで訪れるのもいいかもしれません。
行き方
NY市地下鉄 B,C線135丁目駅が便利でしょう。
謝 意
Sana.さん、南部料理の解説を、そしてYさん、NYCでの観光注意点を共有頂きありがとうございました。
I’m so grateful to Leigh H., David L., and Hank O. for showing me around various places and sharing their knowledge.