見タイ知りタイ! 行った気になる歴史と散策マンハッタン ⑩ セントラル・ハーレム – Central Harlem

セントラル・ハーレム

今回は、セントラル・ハーレムの120~125丁目間についてですが、主に125丁目近辺の紹介です。この125丁目は、ハーレムの42丁目と言われ、バス、地下鉄やその他の鉄道の駅が必ずある目抜き通りです。また、初めて歴史地区を歩いた時、ここがハーレム?と衝撃に近い驚きがありました。ハーレムの新たな一面を感じて頂ければと思います。

1.マーカス・ガーヴィー・パーク(Marcus Garvey Park)

マーカス・ガーヴィー公園は、5番街の120から124丁目の4ブロック間でほぼ正方形。
以前は、マウント・モリス公園(Mount Morris  Park)と呼ばれていました。しかし、後にジャマイカ生まれの黒人民族主義の指導者、企業家そしてジャマイカの国民的英雄であるマーカス・ガーヴィーの名を取り、1977年にマーカス・ガーヴィー公園と改名されました。近くの歴史地区は、マウント・モリス・パーク歴史地区と呼ばれているので、混乱しやすいかもしれません。

この公園には、4億5000万年前に形成されたと言われるNY市内で2番目に古いベッドロック、マンハッタン・シスト(Manhattan schist)があり高台になっています。高台ゆえに、国家歴史登録財でNY市ランドマークとなっている火の見櫓があるのが特徴です。以前は、木製で何度か焼けてしまい、1840年代後期に鉄製となったようです。
5番街の途中に座布団を1枚置いて陣取りしているように見える公園ですが、古代の岩盤があるためか、はたまた火の見櫓が必要だったから、通りに出来なかったのでしょうか。
この公園には野球場、バスケットコートやプールもあります。
メトロノース鉄道の125丁目駅から実はとても近く歩ける距離です。ただ、歩くのは昼間だけの方が良い感じです。

マーカス・ガーヴィー公園の高台にある火の見櫓
5番街をマーカス・ガーヴィー公園から南に臨む

2.マウント・モリス・パーク歴史地区(Mount Morris Park Historic District)

Mt Morris Ascension Presbyterian Church
122丁目とマウントモリス・パーク・ウエストの角

このマーカス・ガーヴィー公園横に、マウント・モリス・パーク歴史地区(Mount Morris Park Historic District)があります。アメリカ建国の父の一人、ロバート・モリスの名が付き、118から124丁目の5番街とパウエル通り間。ドクターズ・ロウ(Doctor’s`Row)とも呼ばれる場所あり、米国国家歴史登録財となっています。
美しいブラウン・ストーンの建物が並び、そびえ立つエフェソス セブンスデー アドベンチスト教会(The Ephesus Seventh-day Adventist Church教会)など教会もあり、まるでヨーロッパにあるような街並みです。

122丁目とマルコムX通り
123丁目とマルコムX通にある
エフェソス セブンスデー アドベンチスト教会
122~123丁目辺りのサイドウォークも広々としているマルコムX通り
マルコムX・ブルーバード Photo by John K.

3.ハリエット・タブマン(Harriet Tubman statue

ハリエット・タブマン像  Photo by John K.

アメリカの歴史において、最も勇敢で奴隷解放のために戦った一人と言われるハリエット・タブマン。2008年に公開された彼女の像は 121と122丁目の間とダグラス通りとセントニコラスの交わるこじんまりした三角地帯にあります。若干落ち着きのない場所にあり、なぜかSwing Lowとも言われています。
銅像のスカートには、タブマンが助けたかつて奴隷だった人々の顔が描かれ、スカートを引っ張る根は奴隷制度を示しているそうです。また、台座には伝統的なキルティングのシンボルではなく、タブマンの人生が描かれています。その一つに、南部の黒人の結婚セレモニーの一部である箒の上を飛ぶ(Jumping the broom)姿も描かれています。

鎖のように絡みつく奴隷制を象徴する根
右から2つ目は結婚のセレモニーの様子
像の近くに植えられているコットンの木
Harriet Tubman Photo from Wiki
1895年のHarriet Tubman、約72歳頃かと

タブマンは、生まれ故郷のメリーランド州などアメリカ南部から奴隷を夜間に極秘に、北部やカナダに亡命させるための地下組織アンダーグラウンド・レールロード(Underground Railroad)を主導し、多くの人々を救ったそうです。その活動から、ヘブライ人をエジプトから解放に導いた聖書の預言者になぞられ「モーゼ」と呼ばれたとの事。
また、フレデリック・ダグラスと同時代を生き、お互いを非常に尊敬していたと言われています。晩年は、婦人参政権運動(Suffragist activism)も行いますが、1913年に亡くなり ます。奴隷であったため生まれた年が定かでないそうですが、危険を顧みず他者のために尽くし続けた90–91歳の生涯でした。

タフマンの功績を称え、2度にわたり切手が、そして2024年には記念コインが発売されています。しかし、タブマンをデザインした新しい20ドル札が考案されていましたが、今だ実現していません。現在の20ドルの表の顔は、かつて奴隷オーナーであったアンドリュー・ジャクソン。タフマンが表で、ジャクソンを裏にするデザインは反対も強いのかもしれません。

4. アポロ・シアター(Apollo Theater)

125丁目にあるアポロ・シアター

世界的にも有名なアポロ・シアターは、パウエル通りとダグラス通りの間にあり、1914年にオープンしています。1,500席を保有するクラシカル・リバイバル様式の建築。
1977年に経営不振で閉まっていた 事もあるそうですが、ジャズ、ブルースやR&Bなどが演奏され、アフリカ系アメリカ人のパフォーマーに人気の劇場です。最近では、アマチュア・ナイトも催されているようです。
建物正面と内装は、国家歴史登録財でありNY市のランドマークに登録されており、劇場前には、恐らく全てアフリカ系であろうアーティスト達のプラークがあります。

アポロ・シアター前以外にも, Harlem Walk of Fameとして、通りのあちこちにハーレムで活躍した作家や音楽家などアーティストの名を見る事が出来ます。

私の好きな作家のラングストン・ヒューズ
音楽家のティト・プエンテ
トランペット奏者のディジー・ガレスピー
またまた登場のアダム・クレイトン・パウエル・ジュニア―
Spirit of Harlem by Louis Del Sarte

アポロ・シアターから西に向かってすぐ125丁目の角をダグラス通りで曲がるとスピリット・オブ・ハーレム(Spirit of Harlem )の題がついた、とてもカラフルで生き生きとしたハーレムでの人々の様子を描いたモザイク壁画があります。
イースト・ハーレムには、スピリット・オブ・イーストハーレム(Spirit of East Harlem )と名が付く壁画が104丁目にあります。
イーストでもセントラルでもハーレムを誇りに思っているように思えま
した。

5.アフリカン・スクエア(African Square

前回も登場した少しカッコつけた感じの
パウエル・ジュニア像と左はNY州政府ビル 

アフリカン・スクエアは、アダム・クレイトン・パウエル・ジュニア―州庁舎プラザ(Adam Clayton Powell Jr. State Office Building Plaza)と長い名でも呼ばれ、125と126丁目間パウエル通り沿いにあります。かなり広々した広場の目立つ場所にAdam Clayton Powell Jr 像があり、連邦や州政府の建物、そして店舗も連なり、なかなか賑わっていました
20世紀中期、アフリカ系アメリカ人にとって活気ある中心地だったそうですが、今もハーレムの中心地であるような印象を受けました。

かつてのホテル・テレサ

この広場の斜め向かいには、かつてのホテル・テレサ(Hotel Theresa)があります。1912から1913年に建築さてた13階建てビルは、白い外装が特徴です。
全盛期には「ハーレムのウォルドルフ」として知られ、著名人が多く宿泊していたそうです。
国家歴史登録財でありNY市のランドマークに登録されているこのビルは、現在はテレサ・タワー(Theresa Towers)と呼ばれオフィスビルとして利用されています。

6. 南部料理とは

Fried chicken  Photo from Wiki

南部料理ってどんな料理?との素朴な私の問いに、アラバマ州で大学に留学し心はアラバマ娘のSana.さんが、サザンホスピタリティいっぱいのアラバマでの南部料理について説明してくれました。まず、普通の毎日の食事には、絶対的にフライド・チキン。コーンミール(トウモロコシの粉)をまぶして揚げ、カリッ、じゅわ~との事。
付け合わせは、これまたコーン、そしてグリーン・ビーンズ、フライド・オクラ、フライド・トマト(緑色のトマト)。加えて、コーン・ブレッドや甘くなく少ししょっぱいパンの類のバターミルクビスケット、そしてトウモロコシの粉で作ったお粥のようなグリッツ(Grits)が定番だそうです。

Fried Okura   Photo from Wiki

グリッツにバターを溶かしたり、その他には揚げたカエル(fried frog)、揚げたナマズ(fried catfish)との揚げ物が多く、油ものとトウモロコシのオンパレードとの事。
デザートは、これまた重めのピーカン・パイ。お酒までも透明なコーン・ウイスキーだそうです。

Grits   Photo from Wiki

飽きないのかなあと思う私に、Sana.さん曰く、飽きないし、肌の色に関わらずみんな大好きと。今は食事もヘルシーになっているかもしれないですが、体がフライド・チキンで出来ている人々と、アラバマミアン(Alabamian)への想いを込めて教えてくれました。
本場のカリッ、じゅわ~のフライド・チキン、太りそうで怖いですが絶対食べたいです!!!!

7. 南部料理レストラン

冬場でも混み合っていたシルビア・ソールフード

ハーレムでは、125丁目から127丁目の間に、有名な南部料理レストランが2軒あります。
一軒目は、1962年オープンで歴史もある有名人気店のシルビア・ソールフード(Sylvia’s Soul Food)

https://sylviasrestaurant.com  です。 
二軒目は、マルコムX通りの125と126丁目の間にあるレッド・ルースター(the Red Rooster
http://www.redroosterharlem.com です。

どちらにもに行かれた事のあるYさんに伺うと、シルビアは内装が昔のままで、値段は決して安くはないですが貧しい時代の雰囲気たっぷりで、流行っていますとの事。レッド・ルースターの方が新しいそうです。また、ハーレム地区で食べるフライドチキンは、抜群に美味しかったと。当時、126丁目のマルコムX通りとパウェル通りの間の廃屋ビルの2階に養鶏場があって、鶏の鳴き声がけたたましく、ここから直送で鶏肉が新鮮なのかな?と思っていらしたそうです。
余談ですが、私はイースト・ハーレムで、住宅街らしき所を歩いていた時生きた鶏の販売所を見かけ、衝撃でしばらく忘れられませんでした。
音楽の生演奏もあるようですし、南部の食文化を楽しまれてはいかがでしょうか。

レッド・ルースター
レッド・ルースターの店内   Photo by John K.

8.まとめ

今回紹介した地区ではメインストリートである125丁目を中心にし、歴史地区も合わせての紹介でした。
治安に対し不安がない事もないですが、125丁目沿いの圧倒されるような活気、音、エネルギーは独特でした。それに対比するマーカス・ガーヴィー公園の静け
さ。また、五番街も120丁目まで来るとひっそりした印象でした。
前クリントン大統領のオフィスが出来、一時期に比べると125丁目辺りの治安は格段に改善されたと聞きます。しかし、地区をよくご存じなければ、周りに留意しつつ明るいうちに訪問される事を強くお勧めします。

もし、日が暮れたら、街灯などで明るく人気が多い通りを出来るだけ歩くように心がけてください。

行き方の参考
NY市地下鉄 A, B, C, D, 2, 3, 4, 5と6番線の125丁目駅が便利です。

謝 意
I’m so grateful to Leigh H., David L., and Hank O. for showing me around various places and sharing their knowledge, and also, to John K. for allowing me to use his photos.

タイトルとURLをコピーしました