フラットブッシュは聞き馴染みがなく、どこ?と私のように思われるかもしれません。この街はブルックリン区のほぼ真ん中辺り、プロスペクト・パークのすぐ南に位置しています。ここはオランダ人が入植するまで、主にロングアイランドに多かったネイティブ・アメリカンのカナーシー(Canarsee)が住んでいた土地でした。
一気に時間を飛ばして19世紀。アイルランドとドイツ移民の流れがあり、次にイタリアやアメリカのユダヤ人。そして、第二次大戦後は、ジャマイカ、カリビアン、アジア系様々なからの移民がどんどん増加しました。さらに20世紀後半以降、パキスタン、バングラデシュ、ロシア、中国、そしてシリアからのユダヤ人等の新しい移民によってますます人口構成は変化し続けます。アフリカ系とラテン系コミュニティもあり、NY市でも最も多種多様な人種が暮らす街の一つと言われていいます。ただ、911のテロ以降、約2万人のモスレムの人々は他地区へ移ったようです。
2010年国勢調査によると、19.9%白人、 48.6% アフリカ系、19.5% ヒスパニック系、9.2% アジア系となっています。
1.プロスペクト・パーク・サウス(Prospect Park South)
フラットブッシュの特徴として、大通りのフラットブッシュ・アベニュー辺りを境界とする西側と東側では、上空からの地図でもわかるように、住宅環境やそこに暮らす人々は全く違います。
西側は緑豊かで圧倒的に白人居住者が多く、プロスペクトパーク・サウスと言われ、違いがよくわかりませんが、ビクトリアン・フラットブッシュとも呼ばれています。
東側には、西側の白人数の3倍以上の黒人居住者がおり、NY市は2017年にリトル・カリビアン地区、2018年にリトル・ハイチ地区を設定しています。
西側のプロスペクトパーク・サウスは、開発者がハイクラスの郊外コミュニティーを作りたかったそう。
広々とした通りにはクィーン・アン、イタリアン・ビラ、スパニッシュ風などさまざまなスタイルのおよそ200軒の大きな家々が立ち並び、通りにはバッキンガム、ウエストミンスターなどのイギリス風の通りの名前が付いています。
また、アルバマール・テラス(Albemarle Terrace) やケンモア・テラス(Kenmore Terrace)など国家歴史登録財、NY市ランドマークとなっている歴史地区もあり、美しく、静かです。
このお屋敷街によく知られた2軒の家があります。
まずは、日本風のJapanese House。独特の色合いの外装が通りで一番目立っている印象でした。前庭に竹やもみじが植えられ、なんとなく日本風になるのかなあ、と思ったり。
でも、似せて作られているけれど何かが違うと感じる一昔前の外国にある日本庭園のような、和洋折衷のような印象でした。
バッキンガム・ロード( Buckingham Rd)にあります。
もう一軒は、1982 年の映画「ソフィーの選択」で出てくるSophie’s Choice Houseです。映画では外装はピンクですが現在は白に塗り替えられています。ラグビー・ロード(Rugby Road)にあります。
この2軒の家は番地までいろいろなサイトに公表されています。気の毒な気もしますが、歩道と家までの間が広く、木に隠れている感じだったので、プライバシーはある程度は守られていいる様子でした。
2.元エラスムス・ホール高校(Former Erasmus Hall High School)
大通りフラットブッシュ・アベニュー沿いにあるかつて公立エラスムス・ホール高校だった建物があります。現在は、エラスムス・ホール教育キャンパス(Erasmus Hall Educational Campus)です。
元は1786年に建てられた私立学校のエラスムス・ホール・アカデミー(Erasmus Hall Academy)で、オリジナルの建物は中庭にあり、ニューヨーク市ランドマークそして国家歴史登録財に登録されています。また、NY市でもっとも美しい公立の学校と言われているそうです。
卒業生の中にかなりの多くの著名人がおり、多くの人が知るバーバラ・ストライザンド、ニール。ダイヤモンド、バーニー・サンダースがいます。この建物は、フラットブッシュの紹介として写真が必ず出てくる気がします。
3.フラットブッシュ改革派教会(Flatbush Reformed Church)
フラットブッシュ改革派教会は、1793-98年に建てられ、マンハッタン・シストの石造り。時代はもっと後だと思いますが、ステンドグラスはティファニー製。
フラットブッシュ・アベニュー沿いで元エラスムス・ホール高校のはす向かい。国家歴史登録財、NY市ランドマークです。
この立派な教会の前で、真贋不明なゴールドのアクセサリーを売る露店がありましたが、いいの?と思うくらい歩道を占領していてたくましさを感じました。
4. ジャック・コーテルユー(Jacques Cortelyou )
ジャック・コーテルユー(Jacques Cortelyou )はオランダ出身で、ニューヨークの前身であるニューアムステルダムの測量総監であり、現在のローワー・マンハッタンの地図を一番最初に作った人です。この地図は通称カステロ・プラン(Castello Plan)と言われ、同名のカフェバーCastello Plan thecastelloplan.com がコーテルユー・ロードにあります。
コーテルユーの名は通りや地下鉄の駅名にもなっています。
5. ブルックリン・ドジャース(Brooklyn Dodgers)
1883年に創設されたDodgersは、1913年から1957年までブルックリンのフラットブッシュにあったエベッツ・フィールド球場 (Ebbets Field) を本拠地とし、名前はBrooklyn Dodgersでした。Dodgersの名前の由来は、当時、トローリーを避けて歩く人達 :The Brooklyn Trolley Dodgersが短くなってBrookly Dodgers となったそうです。当時の人達は、ドッジボール(Dodgeball)をする時にボールを避けるように、スイスイとトロリーをかわしたのでしょうか。
また、アフリカ系アメリカ人として初めてメジャーリーグで活躍したジャッキー・ロビンソンは、1947年ブルックリン・ドジャースと契約しています。
エベッツ球場は、ドジャーズが西海岸への移動後、1960年に取り壊され、現在はEbbets Fieldと名のついた大きなアパートが建っています。
1957年、ロサンゼルスに移転し、ロサンゼルス・ドジャーズが誕生します。
NY市クィーンズ区にある、メッツのホームであるシティ・フィールドの外観はエベッツ・フィールドの影響を受けているそうです。確かによく似ているような。
6.キングス劇場(Kings Theatre)
今回は行かなかったフラットブッシュ・アベニューにあるキングス・シアター。この 3,250人収容出来る劇場兼ライブ パフォーマンス会場は、写真を見るだけでも内装の素晴らしさがわかるので、次回は是非見学に行きたいと思いました。
7.おまけ
八百屋で、Breadfruit なるものを見ました。
Wikiによると、18 世紀後半イギリス植民地の奴隷のための安価で高エネルギーの食料源で、タヒチからカリブ海へ渡ったそうです。ハワイにもようです。
日本語では、パンノキ。そのままやん!
8. まとめ
どんな街かもよく知らないで出かけましたが、人種のみならず建築物や通りの雰囲気もそれぞれで、違いの大きさに驚きました。
今回は、カリビアンやハイチ地区に行きませんでしたが、大通りのフラットブッシュ・アベニュー沿いにカリブ関連の店舗やレストランが多く、活気がありました。
また、カリブ海島々出身の人達が多い教会 Seventh Day Adventist Churchを、好意で中を見せてもらう機会がありました。会う全ての人が笑顔で優しく、経験した事のない心温まる歓迎は貴重な体験でした。
治安に関しては、昼間の活気しかわからないのですが、地域に馴染みがなければ夜は避けた方が良いと感じました。
まさしく一粒で二度美味しい!!!!! 感じの街でした。
行き方
NY地下鉄B, Q線 Parkside Ave. またはChurch Ave.駅、Beverley Rd.駅が便利です。
謝 意
I’m so grateful to Hank O. for showing me around various places and sharing their knowledge, and Maria and Rebecca for allowing me to use their photos. Also, thank you to James for his advice.
参 照
・Brooklyn – Wikipedia
・Prospect Park South – Wikipedia
・Reel Brooklyn: Sophie’s Choice, Flatbush and The Brooklyn Bridge – Brooklyn Magazine
・There’s an Actual Japanese House in Flatbush-Ditmas Park, Brooklyn – Untapped New York
・Erasmus Hall High School – Wikipedia
・Flatbush Reformed Dutch Church Complex – Wikipedia
・Ebbets Field – Wikipedia
・Kings Theatre | Brooklyn New York | Official Site
・Castello Plan – Wikipedia