見タイ知りタイ! 行った気になる歴史と散策ブルックリン ⑰ ベッドフォード・スタイべサント – Bedford ・Stuyvesant

ニューヨーク市観光

Photo :Ruth S.

ブルックリン区ベッドフォード・スタイベサントは、通称「ベッド・スタイ(Bed-Stuy)」(以下ベッド・スタイ)と呼ばれ、米国内でも、美しく見事なブラウンストーン建築が多く残る街として知られており、歴史地区もいくつかあります。
また、アフリカ系の人々が多く住む街で、彼らの文化の重要な拠点であり続けているそうです。
ウイリアムズバーグやブッシュウィックに近い割にはあまり知られていない感じ。街の非公式のモットー「Do or Die」

いったいどんな街?謎かも、でしょうか。
ではまずは、街の簡単な歴史から。

1.ざっくりな歴史

Photo :Maria F.

ベッド・スタイは近隣地区と同様に、農地、住宅地、中流階級居住地、白人流出から貧困地区へ。そして再開発で人口が戻る過程を経ています。
19世紀後期から20世紀初期頃は、ミドルクラスのドイツ、オランダ、イタリア、アイルランド系とユダヤ人の住む街でした。
1920年代そして大恐慌時に米国南部やカリブ海からの、そして1930年代には地下鉄A線一本でつながっていた事もあり、人口密度が高くなったハーレムから、アフリカ系の人々がより良い住宅を求めてやって来てます。
これは「大移動(The Great Migration) 」と言われ、街はNY市で2番目に大きいアフリカ系コミュニティとなります。

Photo : Carole 

第二次世界大戦時、ブルックリン海軍工場(Navy Yard)での雇用機会が増加した事もあり、1950年までにはアフリカ系人口は急増し、人口の55%を占めます。
1960年代には、不動産業者の戦略もあり次第にミドルクラスの白人が流出し、アフリカ系の人口割合は85%へと上昇。

当時、ギャング抗争が勃発し、NYタイムスに「ブルックリンのリトル・ハーレム」と表現され、70~80年代に貧困、麻薬取引、暴動が起こり、街の治安は悪化します。

Photo :Maria F.

2000年代に入ると、犯罪の大幅な減少ブラウンストーンの住宅価格がお手頃になり、そして、再開発も始まった事により街の全人口は25%増加し多様化も進みます。
アフリカ系人口の割合は、2000年の75%が2015年には50%と減少し、白人が25%と増加。

2022年では、黒人41%、白人29%、18%ヒスパニック系や4%のアジア系と比重が変わってきています。
ベッド・スタイは、困難な状況でも生き抜くさまを表した「Do or Die」と表現されますが、近年の再開発で、カフェやレストランも増え「Do or Dine」に変わってきたそうです。

ガーゴイルがあるSt. Philip’s Episcopal Church
Photo :Maria F.

1.ウィークスビル・ヘリテージ・センター(Weeksville Heritage Center)

結構広々としている展示室

1838年、アフリカ系アメリカ人のジェームズ・ウィークス(James Weeks)が土地を購入し、米国初の自由黒人のコミュニティの一つであるウィークスビル(Weeksville)を設立。
奴隷制度が残っていた 南北戦争前の時代に、自由黒人が土地を所有し、教育を受け、ビジネスを営むことができる自立した黒人社会として発展し、学校や教会、新聞などのインフラを整えていたそうです。
センターでは、当時の暮らしやウィークスビルの発展が学べ、また敷地内には19世紀から残る4軒の家屋が保存されています。

狭そうなトイレが母屋の外にありました。 米国国家歴史登録財、米国歴史地区そしてNY市ランドマークです。

4軒だけ残っている19世紀に建てられた家屋 Photo : Maria F.
家屋の裏にポツンと立っているトイレ
Photo : Murray S.
センターにある作品、何に見えますか。
ヒントはルビンの壺。 Photo : James

1.リストレーション・コーポレーション(Restoration Corporation)

Photo : Carole

1967年、当時のニューヨーク州選出の米国上院議員(U.S. Senator from New York)であったロバート・F・ケネディーが、連邦政府からの援助もない貧困層が直面する問題に取り組み始め、アメリカ初のコミュニティ開発法人としてリストレーション・コーポレーションを設立しました。創設以来、ブルックリン中心部の経済、教育、住宅や文化で大きな進歩をもたらし、長年にわたり重要な役割を果たしているそうです。

リストレーション内のギャラリー
Photo : Carole

その後、使われなくなった牛乳瓶詰め工場を利用し、リストレーションの一環として、レストレーション・プラザが1972年に完成。ここは、アフリカ系アメリカ人の文化と芸術の表現の場であり、地元出身の俳優やアーティストの登竜門にもなっているビリー・ホリディ劇場(Billie Holiday Theatre)、そしてギャラリー、郵便局や主だった銀行もあります。
ギャラリーには、ヒップホップの「キング」と称されることも多いアメリカの伝説的なラッパーの一人、ビギー(Biggie)ことノトリアスBIGの展示があり、若い人が写真を撮ったりしていました。1977年3月、24歳の時ビギ―は殺害されたそうです。

NY市の生き字引のような友人は、ビギ―が殺された頃は、ギャング団出身のラッパーたちが縄張り争い(?)で次々に殺されていて「ラッパーで30歳以上生き延びる人はいない」と聞かされていたそうです。
ここの建物はかつて牛乳工場だったので、建物には牛の顔が壁に並んでいました。

ギャラリーで展示されていた
ノトリアスB.I.G. Photo : Carole
ノトリアスB.I.G. Photo : Wiki
外壁に等間隔にある牛の顔

1.モントローズ・W・モリス(Montrose W. Morris)

アルハンブラ・アパートメンツ

ベッド・スタイには、ビクトリア朝のブラウンストーン建築が多く残っており、およそ8,800程の建物が1900年以前に建てられたそうです。アッパー・ミドルクラス用に建設され、内装も非常に装飾的との事。
その中で、19世紀末に活躍しブルックリンの初期集合住宅の設計で知られた著名な建築家に、モントローズ・W・モリス(Montrose W. Morris)がいます。代表作として、ワン・ブロックを占める大きさでNY市ランドマークのアルハンブラ・アパートメンツ、国家歴史登録財でNY市ランドマークのルネッサンス・アパートメンツがあり、ブルックリンの建築遺産として現在も高く評価されています。大きさも関係あるかもしれませんが、個人的にはアルハンブラの見事さが印象的でした。

アルハンブラ・アパートメンツ
アルハンブラ・アパートメンツの中央正面
ルネッサンス・アパートメンツ Photo : Murray S.

1.男子高等学校(Boys High School)

男子高等学校  Photo : Maria F.   

男子高等学校は、1891年に建設されたロマネスク・リバイバル様式で、テラコッタで豪華に装飾された公立学校の建物です。ブルックリンで最も素晴らしい建築の一つと言われ、国家歴史登録財でNY市ランドマークです。
この学校は、1975年に女子高等学校(Girls High School)と合併し男女高等学校(Boys and Girls High School)となり、ほど遠くないベッド・スタイ内のフルトン公園近くに移転しました。
学校の道向かいには、でんと居を構えるコンコード・バプテスト・キリスト教会(Concord Baptist Church of Christ)があり、一帯は、1880年代から90年代に建築された見事な建築が並んでいます。

男子高等学校  Photo :`Murray S.
男子高等学校
Boys High Schoolの文字 Photo : Maria F.
Concord Baptist Church of Christ  Photo : Maria F.

1.女子高等学校(Girls High School)

女子高等学校  Photo:Maria F.

女子高等学校は1886年に建設され、NY市ランドマークであり歴史的建築的にも注目される建物だそうです。先に述べた男子高等学校と合併し、フルトン・ストリート沿いに移転しましたが、現在の校舎は、ごく一般的な建物です。
この学校の著名な卒業生の一人に、アフリカ系アメリカ人女性として初の米連邦議会下院議員となったシャーリー・チズム(Shirley Chisholm)がいます。どこかで写真を目にされた事があるかと思います。苗字の読み方がさっぱりわかりませんでした。

シャーリー・チズム Photo : Wiki

1.兵器庫(Armory)

元兵器庫 正面

お~~~‼ いったい何これ?と思わせる、堀のないお城のような立派な建物。これは、1892–1894に建てれた第13連隊兵器庫13th Regiment Armory)です。
今はどのように使われているかというと、なんとホームレスシェルター。 外からの侵入が難しそうなかなりしっかり建物なので、快適さはわかりませんが、逃げない限り安心して過ごせるかも。
余談ですが、マンハッタンのミッドタウンにもど~んと兵器庫がありますし、NY市内で、ちらほら堅固な兵器庫を見かけます。

元兵器庫
元兵器庫 横

1.スイー

DoughGirl Cupcakes の店内

南部発祥で、甘く煮た桃の上に、クッキーやビスケットのような生地をのせて焼き上げた伝統的なデザートのピーチ・コブラ―(Peach Cobbler)やクリームたっぷりのバナナ・プディングが人気のDoc’s Cake Shop https://www.docscakeshop.com やカップケーキ店のDoughGirl Cupcakes http://doughgirlcupcakes.com があります。どちらも住宅街にぽつんとありました。
レストランでは、3店舗ある南部料理のPeaches https://www.bcrestaurantgroup.comも人気で、週末からか一層賑わっていました。

Doc’s Cake Shopの厨房 普段着で作っている?
Photo : Maria F.
真ん中がバナナ・プディング、右端がピーチ・コブラ―

1.フルトン公園(Fulton Park

フルトン公園のフルトン像

フルトン公園は、ごくごく普通のこじんまりした公園ですが、世界初の潜水艦を設計や蒸気船を発明したRobert Fultonの銅像があります。このフルトン像の顔が、俳優の山本耕史によく似てました。

1.まとめ

レストレーション・プラザにあった鮮やかな色合いが目を引く絵

アフリカ系の人々が多く住む街である事以外、あまり知らなかったベッド・スタイ。壮麗な数々のブラウンストーン建築を目にして、良い意味で期待を裏切られ、個人的に最も深く印象に残っている街の一つです。戸建てより長屋が多く、ゴミも壁画の類は少なかったです。
調べると、この街出身の著名人に歌手や俳優が多いのですが、Jay-Zを含めラッパーは群を抜いています。バスケット・ボールも人気で、ヒップホップとバスケのカルチャーが混ざり合う場所としてよく知られたバスケット・コートもあるそうで、独自の文化が発展した街でもあるようです。

近年、再開発で治安がかなり改善されたと言われていますが、それでも街をよく知らない場合は、昼夜間共に周囲を注意しながら歩き、特に夜間の一人歩きは避けた方がいいと思います。
私を含めウオーキング参加者の撮った写真の中から、雰囲気が伝わればと選択に時間を掛けましたので、少しでも街の様子を感じて頂けたら嬉しいです。
最後に、まるでプロのような(プロかも)写真を載せて、締めくくります。

Photo :Chew Wong
Photo :Chew Wong

地図でみるとかなり広い

行き方
NY市地下鉄AとC線のNostrand Avenue、Kingston-Throop AvsかUtica Avenue が便利です。

謝 意
I’m so grateful to David L. for showing me around various places, sharing his knowledge, and his advice.
Also, to Maria F., Carole, Ruth S., Murray S, James, and Chew Wong for allowing me to use their photos.

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